台湾の北投温泉 — 北投温泉博物館 リニューアルされた常設展と時代ごとの流れ②-2

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北投温泉博物館 立位で入浴するタイプのバースに似ているローマ風浴槽

2020年10月、リニューアルされレトロな雰囲気とAR技術を融合させた、ユニークな体験ができるスペースとして生まれ変わったという大浴場跡。最新情報をリサーチしていて見つけました。

上記、画像は訪問した時の大浴場跡、展示スペースの雰囲気です。

【台湾情報】外国人にも人気の北投温泉博物館が22周年を迎え、クールにリニューアル!
引用:旅色プラス 2020-11-21
https://plus.tabiiro.jp/articles/view/125631

以下、借用したものです。詳しくはリンクをご覧ください。

こちらは前回の特別展と同じ位置にある壁パネルですね。

改装された感じはこちらです。

もっと、大人向けで博物館的な貴重な物品や、コンテンツが満載だったのが、昔の雰囲気を実物大の展示で体験できるようになり、大人も子供も見て歩けるような内容になったようです。

基本、立ち止まって、読み込むような展示で、時間がかかったのですが、なんとか。
持って帰ってきた情報を整理するうちに感じたこと。

まさに、栄枯盛衰、というか、激しすぎて、日本人にはどうしてか理由が理解できません。
台湾人は飽き性なのですかね?漢民族がですか?

極端なのですよね。もともと、流行として、日本にある温泉文化を輸入したものが廃れた。
という解説だと、納得できるかもしれません。

日本の温泉地は、ここまで開拓されていると無くならないのに…、熱海でさえ。笑
と、少し民族性も感じました。これは個人的な特殊な意見になるかと思います。

一旦、ほぼ完全になくなっていたというのが、信じられないのですが、写真が荒廃っぷりを物語っていて、現実を目の当たりにすると、さすがにひどいのです…。

すごく良い泉質なのですよ。白湯…。日本人はこんなことしないですね。

温泉旅館に、大勢の観光客、ハリウッド並みの映画撮影所への再利用や公娼制度を背景に盛り上がっていた時代を経て、現在の形になるまでの歴史について、持ち帰った資料でご紹介したいと思います。

OCRで資料を書き起こしたので、テキストは長くなりますが、実際には、みなさん、読み流すか、と思いきや、…正直、思いの外、真剣に読んでいらっしゃる観光客の方々が多かったかも。

…いや、多すぎました。日本人の常識として。
よく見ていらっしゃったのは、外見、おそらくは中華圏の富裕層の方々でしたね。

インテリの方々が見たがるスペースであることは間違いなく、もっと、興味深い資料は山積していたものの、ブログである都合上、軽めに公開致します。

(撮影禁止ではなかったのです。)

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Ⅰ. 修復・保存された大浴場跡

大浴場跡、以前の展示スペース 左にモニター、右側に小さな浴場跡

こちらの大浴場跡は、今、リニューアル後、銭湯を再現したようなスペースになっているようですが、以前はそのまま公開されている部分と、ミュージアム部分になっていて、特に区別はされていませんでした。

自然な感じで、回遊しやすかったですよ、詳しい情報を読み込むこともできるし、普通に見て歩くだけでも楽しい空間です。

映像とスライドでは日本語での解説もありました。

映像は一部割愛して、こんな感じの文言です。
日本語訳がたまに不自然だったり…。

▼温泉建築の種類
温泉の休憩所や旅館ホテルの建築

北投には多くの個人が経営する休憩所
旅館・料理屋などの関連サービス業があります。

休憩所は単純に入浴客にサービスを提供するもので
例えば「龍乃湯」がそれです。

そして旅館は主に宿泊を提供し
食事のサービスもあります。

また、個人風呂や家族風呂もあって
屋外の庭園や景観植栽とも組み合わせています。

公共空間、例えば大広間(大型休憩室、
レストラン・その他の娯楽施設を提供できます。

▼温泉の公共浴場建築
台湾総督府が公共衛生費で建設した
「北投温泉公共浴場」
温泉の公共浴場建築で

建築の構造上、和洋折衷の建築です
大型のローマ浴場や型の個人湯屋を建設したほか

引用:北投温泉博物館 映像解説より

青湯を公衆浴場で提供している「瀧乃湯」は開湯初期から存在していました。

今は、このような感じで、皇太子だったころの昭和天皇、裕仁皇太子も訪問したことがある場所です。

Ⅱ. 北投温泉公共浴場の生みの親と設計者

北投温泉博物館 北投温泉公共浴場の生み親・井村大吉と設計者・森山松之助

「瀧乃湯」、行きたかったな…大反省。
博物館に気を取られていて、時間がありませんでした。

温泉の話から離れて、マニアにしかわからない資料を。
展示会場では、意外と注目の的でした。

日本人は、「うそぉ…。」となっていたのですが。本気の様子。

意識の高い鑑賞者の方が多かったです。
中華圏、青年~中年文系男性の心を掴むのでしょうか。

前回のブログも、今回のブログも、書くのに悩んだのは、あまりにも文系寄りであること、温泉や医学に関する内容が薄いこと…。

でも、文化的背景に関する著作物を医師であり、著者でもある一部の先生方も書いてらっしゃるので、許容することにしました。

ご興味なければ、写真だけでも、どうぞご覧ください。

▼北投温泉公共浴場の生み親
井村大吉は三重県に生まれ、東京帝国大学英法科を卒業しました。台北庁長、台湾日日新報社長を歴任しました。台北庁長在任期間に北投温泉公共浴場と北投公園の建設を命じ、いずれも1913年に完成しました。完成後、多くの観光客が訪れ、将来の新北投駅の建設を間接的に促進し、以降の北投の温泉と観光産業へ大きな影響を与えました。
井村大吉の貢献を称えて北投公園に「井村大吉像」を建てましたが、日本統治時代末に撤去されました。その後2013年に北投公園100周年を記念して元の場所の近くに記念碑が建てられました。

▼Planner of Beitou Public Bathhouse
Imura Daikichi was born in the Mie Prefecture in Japan with a degree earned from the department of English law at Tokyo Imperial University. He once served as magistrate of Taipei Prefecture and president of Taiwan Daily News. During his time as the magistrate of Taipei Prefecture, he ordered the construction of the Hokuto Public Bathhouse and Hokuto Park, both completed in 1913, after which a large number of tourists flocked here, indirectly contributing to the subsequent construction of Shinhokuto Station, which had a major impact on hot spring tourism in Hokuto. To commemorate his contribution, a statue of him was erected in Hokuto Park, though it was removed at the end of the Japanese ruling period. In 2013, a monument was set up near the original site for the par’s centennial celebration.

引用:北投温泉博物館 北投温泉公共浴場の生み親 展示解説より

お二方とも、東大の先輩で。
(古い人過ぎて、あまりピンとこず。)

井村大吉は今でも胸像や石碑があり、現地でむしろ、知られているの、かも。
という雰囲気でした。察する感じですね。

一方、これから、解説をご紹介する、建築家の森山松之助は辰野金吾の数あるお弟子さんの中の1人として埋もれていて、台湾での建築物は有名でありながら、帰国後の日本での作品はあまり知られていないかな。という印象…。それでも、国内に重要文化財や改装後現存する建築物はあるようです。

ただ…、この方は。大阪市出身である上に、お金持ちのエリート、東大卒業後、病気などが原因で、貧乏な放蕩生活を送っていたようですが、ディーン・フジオカのNHK連続テレビ小説「あさが来た」で演じた当たり役で有名な五代友厚の甥御さんというのが現代の日本ではエッジになるのでは…。
(ドラマは見ていなくても知っているレベルの有名さ。)

ちなみに、ディーン・フジオカの奥様はインドネシア人の華僑の方。妹さんは台湾で芸能活動をされていて、現地で台湾人とご結婚されましたね。

この繋ぎ方、台湾で活躍した、大阪市出身、東大卒の五代友厚の血を引く大正~昭和初期の建築家、一般的な日本人は興味を持つかもしれませんが。

普通に考えて、歴史に埋もれてしまっていて、再発見でした。

銀座のアンリ・シャンパルティエ店舗…改装・現存する建物、ヨネイビルはいいな、という程度。

銀座メゾン アンリ・シャンパルティエ

http://www.henri-charpentier.com/shop/ginza-maison/

▼北投温泉公共浴場の設計者
森山松之助は大阪に生まれ、大学は東京帝国大学造家学科(現:東京大学建築科)で学び、在学中は師である辰野金吾の影響を受け、ヨーロッパ式の建築設計を得意としました。1910 年、台湾総督府民政部土木局営繕課に正式に着任し、台湾在住期間に台湾の多くの公共建物の設計に参加しました。その中には、台湾総督府(現:総統府)、総督府官邸の改築(現: 台北賓館)、台中州庁(旧台中市政府)、台中州庁(現:監察院)、台南州庁(現:台湾文学館)などがあり、日本統治時代の台湾で最も代表的な政府公認の建築士の一人です。1912 年、総督府営課によって北投温泉公共浴場が設計、建設され、中心となった設計者が森山松之助でした。北投温泉公共浴場は森山が台湾で設計した数少ないレジャー向けの作品であり、個性が現れています。

▼Designer of Beitou Public Bathhouse
Born in Osaka, Japan, Moriyama Matsunosuke attended the Department of Architecture at the Imperial University of Tokyo, where he was deeply influenced by his teacher Tatsuno Kingo and excelled in European-style architecture. In 1910, he worked in the Civil Engineering Section, Civil Engineering Bureau, Ministry of Civil Affairs, under the governor-general of Taiwan. During his stay in Taiwan, he participated in many public architectural designs, such as the Office of the Governor-General of Taiwan (now the Office of the President), the House of the Governor-General of Taiwan (now the Taipei Guest House), the Taichung Prefecture Hall (the former Taichung City Hall), the Taipei Prefecture Hall (now the Control Yuan), and the Tainan Prefecture Hall (now the National Museum of Taiwan Literature). He was one of the most representative official architects in Taiwan during Japanese rule. The Beitou Public Bathhouse was designed and constructed in 1912 by the Civil Engineering Section of the Governor-General of Taiwan, with Moriyama Matsunosuke as the chief architect. The Beitou Public Bathhouse was one of his few leisure-oriented works in Taiwan, so it appeared more unique.

引用:北投温泉博物館 北投温泉公共浴場の設計者 展示解説より

辰野金吾は「近代建築の父」と言われている、東京駅や日本銀行本店と、有名で誰でも知っている建物を設計した人です。

たまたま、ですが、今、日本の東京で企画展を開催しています。
東京駅に似ている?台湾の「総督府専売局」など。

こちらのリンクには小さな写真も掲載されていました。

特別研究室企画展示
内田嘉吉文庫に見る
近代建築の父・辰野金吾と海を渡った建築家たち
2021年10月19日(火曜日)~12月28日(火曜日)
https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20211019-100_2021/

千代田区図書館で展示されているようですよ。

Ⅲ. 北投温泉公共浴場が北投温泉博物館として再生するまで

引用:北投温泉博物館 1913-1945 温泉郷の賑わい 展示写真

今まで小出しに少しずつご説明していた北投温泉公共浴場から北投温泉博物館に復活・再生するまでの経緯と歴史的資料についてご紹介致します。

▼歴史の記憶
北投温泉博物館の前身は北投温泉公共浴場でしたが、時代ごとにその名を変え、日本統治時代の公共浴場は第二次大戦後に中山堂、民衆服務社となりましたが、管理部門が更迭され、やがて荒廃してしまいました。北投温泉博物館はまるで巨大な「時の宝箱」であり、異なる時期の人物の記憶と時代の精神を収め、静かに北投の渓畔にそびえ立ち、北投の発展の歴史に寄り添うと同時に証明しているのです。このため、当エリアの左右には北投温泉博物館や周辺の歴史写真を展示しており、散らばった時の中に歴史を少しずつ垣間見ることができます。

引用:北投温泉博物館 展示より

中山堂…、中山はもちろん、孫文のことですが。
台北市の他の場所にも有名で立派な建物があるのです。
(こちらも、日本人の辰野金吾門下のお弟子さんが設計しています。)

台北公会堂。1945年日本統治終了セレモニーの舞台となり、庭には抗日戰争勝利記念碑、台湾の歴史の年表もある、台湾総統府の庁舎が建っていた場所なのですが…。

引用:中華民国(台湾)行政院 文化あふれる台湾 台北公会堂

https://www.moc.gov.tw/jp/information_145_135849.html

はて、こちらの中山堂とは。
中山堂はいっぱいあったのでしょうかね。

こういった固有名詞は、台湾で歴史を学んだ人にしかわからないものです。

孫文に関係する、何か政治的な用途の施設になっていた、という程度の理解でしょうか。
誤解があったら、すみません。

民衆服務社…、服務は奉仕する、国に奉仕する、…。
日本人の知識では定かでなく、申し訳ございません。

少し検索すると、
「民衆に文教、娯楽、医療その他のサービスをするもの」と出てきました。

英語だと、the Zhongshan House and KMT Service Center、のようです。

▼Historical Context
The Beitou Hot Spring Museum, formerly known as the Hokuto Public Bathhouse (Beitou Public Bathhouse), underwent changes through different eras, from the public baths during the Japanese rule to the Zhongshan House and KMT Service Center after the war. However, the building was eventually closed and abandoned due to the intermittent change of the competent authority. The Beitou Hot Spring Museum is like a huge treasure box of time, holding the people’s collective memories and spirit of different eras, standing quietly beside the Beitou Stream, accompanying and witnessing the historical development of Beitou. You’ll see old photographs of the Beitou Hot Spring Museum and its surroundings exhibited on the left and right sides of the area, guiding visitors to pick up the historical fragments scattered over time.

引用:北投温泉博物館 展示より

というわけで、前回のブログでもご紹介した地元の小学生に発見された経緯の文言は以下の通りでした。特に、日本人でもわからない部分はないです。

▼大北投との出会い
1994年、北投小学校の生徒たちと教師が郷土学習の資料を集めている最中に、7年近く放置されて荒廃した北投温泉公共浴場を発見しました。各方面の努力によって、1997年に遂に三級古跡(法制度の改正により、現在は市定古跡)に指定され、修復を経て1998年に「北投温泉博物館」の名前で再度利用されるようになりました。北投温泉博物館は入浴サービスを提供せず、代わりに皆様に北投と温泉の歴史を紹介しており、新たな浴場の公共精神が受け継がれています。同地区では公共浴場が温泉博物館へ変身を遂げた歴史と建築の美しさを紹介しまた、インタラクティブマップで観衆に北投エコミュージアムを展開しています。

▼Discovery
In 1994, a group of teachers and students from Beitou Elementary School discovered that the Beitou Public Bathhouse (Hokuto Public Bathhouse) had been abandoned for nearly seven years in the process of collecting materials during homeland teaching. With the efforts of society, it was finally classified as a Class III Historic Monument in 1997 (now a municipal monument due to the amendment of the legal system). After renovation, it was reopened in 1998 under the name of the Beitou Hot Spring Museum. The Beitou Hot Spring Museum no longer provides bath services, but instead introduces the history of Beitou and hot springs to the public in order to revitalize and renew the public spirit of the facility. This section introduces the history of the transformation from a public bathhouse to a hot spring museum and its architectural beauty, and presents the Beitou Ecomuseum with interactive maps.

引用:北投温泉博物館 展示より

パンフレットや、公式サイトに繰り返し使われている解説で、見慣れてしまっている…。
いまさらで、超重要部分ですね。

野湯のような状態から、衰退に至るまでの経緯が写真を交えて、展示経路の最後の方に紹介されていました。

あまりにもひどい写真が…。日本人はびっくり。

ですが、日本の田舎の温泉地、有名なところでも、廃業して、取り壊していない温泉旅館はたくさんあります。

それに近かったのかもと想像されます。

荒廃っぷりをよく見るにつれ、よく、取り壊されなかった、奇跡と感じます。

反日の台湾人が、怒りの矛先を向けてもおかしくなかったと、おっかなびっくり、というのが本心です。…東大は戦史研究禁止ですし。笑

▼1895-1913 渓谷温泉の勃興
日本人が台湾へ来た後、温泉と地熱資源が相次いで発見され、地熱谷から温泉が噴き出る北投渓谷へやって来て露天温泉を楽しむ人が現れるようになりました。野渓温泉(野湯)が徐々に人気を集めた為、入浴に便利なわらぶき屋根の浴場が次々建設されました。」北投の野渓温泉から台湾の温泉文化の発展が始まり、元々温泉文化を有する日本人は、1896年、「松濤園」・「保養園」・「天狗庵」等の温泉旅館を相次いで開業。温泉に商業・観光業を導入しました。次いで、「衛成醫院北投分院」を建設して日本軍に供し、傷ついた兵士は温泉で療養、リハビリを行いました。温泉の発展に対処する為、1911年には北投水道が建設されました。

引用:北投温泉博物館 1895-1913 渓谷温泉の勃興 展示より

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

見ての通り、野湯と野渓、地獄谷から湧き出た温泉の川の途中に設置された仮設露天風呂状態の浴場です。

本当にわらぶきですね…、これ、でも、アメリカに今でもある僻地の野湯より、よっぽど大事にされていますよ!

この仙人みたいな服装の人は、「天狗庵」を開いた平田源吾。
「天狗庵」の写真は、左上と右下ですね。

左から2列目、下は旧日本軍の陸軍温泉病院です。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

英語も掲載しておきます。

▼1895-1913 Hot springs in the wild
After the Japanese took over Taiwan, hot springs and geothermal resources were discovered in repeated succession and people began to enjoy the open-air hot spring baths in the Hokuto Stream(now the Beitou Stream), which originated from the geothermal valley hot springs. Because of the popularity of hot spring baths in the wild, people began to erect straw sheds for a convenient bath. The development of Taiwan’s hot spring culture was initiated by Hokuto’s hot springs in the wild. In 1896, the Japanese, for whom hot springs played a significant part of their culture, successively set up hot spring hotels such as Songtaoyan, Baoyangyuan, Tiangouan and to introduce hot springs into commercial tourism. Subsequently, the Garrison Hospital Hokuto Branch was constructed for use by the Imperial Japanese Army, where the wounded were cared for with the healing hot springs. Moreover, in response to the development of hot springs, the Hokuto waterway was built in 1911.

引用:北投温泉博物館 1895-1913 渓谷温泉の勃興 展示より

1913-1945年、戦前~戦時中・終戦までには、前述の前世代温泉郷から進化し、次世代の温泉観光地として発展していきました。

北投温泉公共浴場は1913年落成当時、東アジアで最大かつ、最も美しい公共浴場で、北投公園の完成とともに、多くの観光客を引き寄せ、温泉旅館や銭湯、料亭が林立する、温泉街として発展し、新北投駅もこの時に運営が始まりました。

1923年には、裕仁皇太子も台湾と瀧乃湯を訪れ、北投畦畔を実地調査したことで、北投温泉の観光ブームは最高潮に達したそうです。

拡大すると、面白いですね、当時の様子がうかがえます。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

ここまでのお話は、前のブログと重複している部分もあり、ご興味おありであれば、こちらもご一読ください。

台湾の北投温泉 — 日本人が開拓した台北市内のラジウム含有温泉と観光地①
https://onsendr.com/2021/10/26/discover-beitou_01/

台湾の北投温泉 — 北投温泉博物館 鉄道×納涼大会:夏夜物語 特別展 ②-1
https://onsendr.com/2021/11/07/discover-beitou_02/

▼1945-1979 戦後の歳月
日本の統治終結後、北投温泉公共浴場は1階のみ公共浴場の機能を残し、1950年代には北投地区の子供用の温水プールとなり、放課後の一番の遊び場となりました。2階は中山堂、民衆服務社、台北県議会招待所、及び光明派出所が使用するようになり、地区の人たちの集会所や地方行政機関の官舎となりました。戦後は日本統治時代に残された旅館の他に、新たな高級旅館が多く建設されました。1954年に「女寺應生住宿戸聯誼会」が成立し、「癒しの地」として名を上げました。1960、1970年代の北投地区には80軒以上の旅館があり、多くの国内外の観光客が北投を訪れ、北投温泉観光産業の全盛期となりました。風光明媚な自然の景色と立ち並ぶ温泉旅館は台湾語の映画製作会社を惹きつけ、数百本に近い作品がこの地で製作され、北投は「台湾映画版ハリウッド」とも呼ばれました。

▼1945-1979 Post-war Years
Following the takeover by the Nationalist government-in-exile, only the first floor of the Beitou Public Bathhouse still functioned as a bathhouse-it was children’s swimming pool in Beitou District and the place for recreation after school in the 1950s. The second floor underwent several transformations, from the Zhongshan House, KMT Service Center, Taipei County Council guest house, to Kuang Ming police station, serving as a venue for public assembly and an official residence for local administrative officials. In addition to the hotels left by the Japanese rule era, many upscale hotels continued to be built after the war. In 1954, the “Hostess Accommodation Association” was approved and established, and the name of “pleasure land” spread like wildfire. In the 1960s and 1970s, with more than 80 hotels erected in Beitou, a large number of domestic and foreign tourists flocked to here, which was the heyday of Beitou’s hot spring tourism. The beautiful scenery and numerous hot spring hotels brought in the film crew to shoot Taiwanese movies. Hundreds of Taiwanese films were filmed here, and it was therefore lauded as “Taiwanese Hollywood.”

引用:北投温泉博物館 1945-1979 戦後の歳月 展示より

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

▼1979-1994 衰退
次々と異なる団体が北投温泉公共浴場を転用。1980年代~1989年までは、映画の道具置き場として使用われていました。しかし、長年修理もされず、建物の世話をする人も少なかったため、物が傾くようになり、構造が破損して、周囲には雑草が生え、徐々に荒廃していきました。 1979年、政府は公娼制度廃止政策を打ち出したことで、北投の特殊産業は、法により強制的に廃業に追い込まれ、現地の主要観光事業は大打撃を受け、二度と盛況を取り返すことはありませんでした。1979年~1990年には約40軒の旅館が営業を停止し、著名な旅館もその多くが廃墟と化し、或いは別の用途に建て替えられました。1988年、北淡線が廃止・同年新北投駅も廃止されました。同時に北投渓の汚染も深刻になり、北投石の再発掘も困難を極め、北投は衰退の歳月に突入したのです。

▼1979-1994 Depression and Decline
As a makeshift shelter for different organizations in succession, the Beitou Public Bathhouse was also rented out as a movie prop room in the 1980s. It was not until 1989 that these props were all removed. However, the building was eventually closed and abandoned due to the lack of proper maintenance. In 1979, the government promulgated the policy of abolishing prostitution, and Beitou special businesses was forced to close down in accordance with the law, thus dealing a heavy blow to local tourism. Between 1979 and 1990, about 40 hotels were closed, and famous hotels were mostly ruined or rebuilt for other purposes. In 1988, the Taipei-Tamsui railway line was terminated and Xinbeitou Railway Station was demolished. Meanwhile, the Beitou Stream was so polluted that it was difficult to generate hokutolite. All of these factors combined to send Beitou into a period of depression.

引用:北投温泉博物館 1979-1994 衰退 展示より

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

おわり

最後の方は、駆け足になりましたが、いかがでしょうか。

現地には、これでもかというくらい、写真での資料が残っていました。

温泉療法、温泉医学というより、温泉にまつわる、俗世間の、人の建造物に関する人間臭い側面がよくわかる歴史と展示でした。

次回は、今も北投温泉にある温泉病院のお話とここしばらくの世界の温泉医学の状況と日本の学会発表について少し触れてみます。

これからも、温泉療法医としての目線で様々な温泉関連情報をご紹介していきたいと思いますので、また、お立ち寄りください。

本日はご訪問・ご拝読頂き、誠にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。

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