台湾の北投温泉 — 北投温泉博物館 鉄道×納涼大会:夏夜物語 特別展 ②-1

with コメントはまだありません
北投温泉博物館 特別展:夏夜物語 エントランス

新北投駅に到着すると、改札のすぐ横に昔の駅舎を利用した博物館、信号の向こうに亜熱帯植物茂る北投公園、その奥に噴水と図書館、向かい合う形で北投温泉博物館があり、歩いているとすぐに見つかります。

道なりに博物館に向かうと公共浴場で水着着用必須の露天温泉もあり、土地柄と和中折衷の(?)、熱帯の雰囲気を満喫できる散歩道として充実していて、出来過ぎなくらいの観光地です。

シンプルな作りでとても便利、真新しさは否めませんが、日本の鄙びた温泉地とは違う、合理的な現代にある温泉の新しさですね。それでも、新しく復興し始めて20年以上経っているので、施設は少しは古くなってきています。

リアルの旧跡もありつつ、再生された温泉地の歴史について、今回は持ち帰った資料多めで触れていきたいと思います。

日本のサイトではどこにもないかと…、特に撮影禁止でもないので、台湾・北投温泉にご興味をお持ちいただいた方には、行かなくてもわかるくらいの分量になるのではないかという…。

日本は現代の今でも、バスで侵入することすら難しい温泉地が数ある中…、特に、鉄道との結びつきが強い温泉地で、戦前の大正時代から、植民地でありながら、日本の温泉地を模したとてもモダンな観光地であった北投温泉の納涼大会のイベントの資料を展示した企画展も開催されていたので、今回はこちらをご紹介させていただきます。

温泉の文化的・社会的側面で、医学から少し離れますが、あとでまた戻ります。
しばし、お楽しみください。

広告

Ⅰ. 夜遅くまで煌々と輝く、新北投車站

先程のお話をマップでお見せすると、こんなかんじです。

9月下旬の雨の日で、熱帯特有の大雨に降られ、完全に日本の夏か梅雨の天候。
(翌朝には、小雨になっていたものの、公園内にあった屋外マップは濡れていて失礼致します。)

駅前周辺にはファストフードのお店や、コンビニ・スーパーが並び、とても普通に現代的な上、近未来的、かつ、立派な中華風の門がお出迎え。

前回の行き方の解説の通り、台北市の中心地から30分程度、温泉地以外の都心周辺で働いている人たちの普通の居住区でもあるようです。

初日、雨の夜に到着して気が付かなかったのですが、七星・七虎公園と北投公園の間の道にある、手湯も有名な様子です。みなさん、憩ってらっしゃいました。

最近は、草津温泉で新型コロナウイルスの殺菌効果が認められた手湯がニュースになっており、何か、現地では新しい工夫がされているかもしれないですね。

こちらは、丁度良い湯温の白湯なので、殺菌効果などはないのではないかと想像します。

到着して、すぐに立ち寄ったのが、「新北投車站」Xinbeitou Historic Station, です。

単純に、駅の施設の延長のような。誰もが最初に目にする歴史的建造物になっています。
内部にはノスタルジックなアイテムが盛りだくさんに展示されていました。

今回は、雰囲気だけお伝えするくらいで。夜は、まるで銀河鉄道999みたいでした。
(年齢が推測される妄想。オープンにしています。)

昔使用されていた、実際の車両の中を改装して資料を展示してあります。

正直、とても情報量が多く、ご紹介しきれないですね。
絵だけでご想像ください。お土産なども充実していました。

Ⅱ. 旧北投温泉公共浴場を利用した北投温泉博物館

北投温泉博物館 図書館側・裏庭より

北投公園の図書館を通り抜けて、日本とは少し違う熱帯の植物が茂る散歩道を進んでいくと現れる赤レンガの目立つ建物、廃墟になっていたところを小学生と担任の教師に発見されて、修復された北投温泉博物館です。

北投温泉博物館 公式サイト(中国語・日本語・English)

厳密には、1994年に7年近く放置されていて荒廃していた浴場を、1997年、各方向の努力により三級古跡、今は市定古跡に指定されるようになるまでアピールし、1998年、修復を経て「北投温泉博物館」として再利用されるようになった。ということです。少し重い、公式サイトにも詳細が公開されています。

今は、温泉の歴史と北投エコミュージアムとして利用されていて、映像や実際の浴槽、グッズ、天然の鉱物などが公開されており、中国語、英語、日本語での詳しい解説もついていて、公共精神を情報提供で受け継ぐという形で運営されているようです。

全体を撮影するのは難しく、こちらは裏側かも…。

正面入り口は、沢山のお客様が出入りする場所で、中には靴箱があり、スリッパに履き替えるようになっています。

雨の日は少し大変でした…。が、とても清潔で使いやすかったです。

入口、駅とは反対の左側は円形野外ホールのようになっていて、昔は劇などが上演されていたのかもですね。座席があります。ネット上も、館内資料もどこにも記録がなく、撮影しづらい。画像割愛致します。

内部は日本のお座敷の広間のような空間もあり、ここはどこ?日本の田舎かどこかの史跡?となる日本人観光客が多数のはずです。

Ⅲ. 夏の夜の物語:北投納涼文化特別展

北投温泉博物館 夏の夜の物語:北投納涼文化特別展

時期は9月末ながら、台湾での体感季節は夏。

大正時代に始まった、京都の夏まつりを模して、列車と組み合わせたという当時の地方、北投温泉の和風納涼大会と現代に復活した納涼大会の特集企画展が開催されていました。

北投納涼文化特展
『夏の夜の物語:北投納涼文化特別展』では、「北投納涼会」を第一回特別展とし、百年前の文化に敬意を表し、百年後の今日、北投の夏に新たな可能性を発掘しよう!

引用:夏の夜の物語:北投納涼文化特別展 解説

ここでも、鉄道ありきの内容が。

Taiwan’s first railway-themed tour package ever?
The beginning of leisure culture in modern Taiwanese history?

鉄道x観光の始まりは?
台湾近代ツーリズム文化の起源は?

How far back can Taiwan’s exuberant evening activities be traced? The answer may not be verifiable, but according to literature, one particular summertime leisure activity swept the island during the period of Japanese rule-the Grand Noryo (Cool Summer) Festival. The event was designed as a mini-tour that combined train rides and local leisure activities. Railway trips, hot spring baths, and fun fairs provided great ways to escape the summer heat.

台湾で一番楽しいナイトライフはいつ始まったのだろうか。この答えを調べるのはなかなか難しい。文献には、日本統治時代に台湾各地で、特に北投温泉が発祥とされる催しがあったとの記載がある。それは『大納涼会』。列車と地方の娯楽を組み合わせることで小旅行の気分が味わえる、「鉄道×温泉×祭り」これを夏の日のゴールデントライアングルと言う!

引用:夏の夜の物語:北投納涼文化特別展 解説

当時から、近郊まで鉄道を敷いていたのは特殊なことであったことが窺われます。
小旅行…、確かに、MRTの途中で田舎っぽい場所もあったような気が。

開拓が始まった頃は、写真で見ても、本当に未開の地で、今のように、台北市の中に組み込まれることなど想像もつかないような田舎、小旅行先に感じたのかもしれません。

納涼列車は、1901年の京都で夏の祭りに組み合わせて走らせたのが始まりで、列車に乗ってさまざまな納涼を行うというモダンなナイトライフの一つだった。

その翌年の 1902年5月26日、台湾では総督府鉄道部が北投、円山間に台湾初の「納涼列車」を走らせた。当日、鉄道部は列車運行、宣伝、券の販売を行い、北投会場は『北投倶楽部』の発起人、松本亀太郎が各種催し、飲食、花火などで旅客を迎えた。当時、鉄道を観光と結びつけることはなかったため、納涼列車の運行は世間を大きく揺るがせる前代未聞の興奮を巻き起こすこととなった。

1913 年、北投公共浴場と北投公園の完成に合わせ、台湾日日新報は台湾史上最大規模の『台北納涼会』の主催を決定。連日新聞誌上 で納涼会を宣伝したことで、納涼会の会員券が爆発的に売れ、会員券の追加発売や会場への列車の増便も行われた。最終的に、会員券は 3,622 枚売れ、納涼会当日、会場の北投公園へは5,000人もの人々が訪れた。この盛況ぶりに、北投公園は身動きできないほどだった。

納涼会当日、大きな楽隊の演奏、藝妓の踊り、活動写真、蓄音機による音楽演奏等が行われた他、均一価格のおでん、冷麺、寿司、アイスクリーム、ビール、ソーダ水等の食べ物や飲み物も話題となり、最後に35種類の花火が打ち上げられ、納涼会は最高潮に達した。

引用:夏の夜の物語:北投納涼文化特別展 「大納涼會!」解説

会場は屋台が…、提灯も。日本人にはとてもイメージしやすいお祭りだったのではないかと想像します。

反対に、士林夜市という有名なナイトマーケットも観光したのですが、台湾人には、日本のお祭りとはこういうものなのかという、新しい展示かもしれません。…笑。

鑑賞に、このスペースに来ていたみなさんはとても楽しそうでした。
ふーん。と、言いながら眺める日本人。本当にニコニコされていて、可愛いですね。

ここに来るまで、台湾に納涼大会があるなんて、日本人の私は全く知りませんでした。

反対に、日本の夏祭りは大正時代から変わっていないのかという現代との比較が感想です。
今のままですよね!

おそらく、移住していた日本人には国に帰らなくても、楽しいイベントがある、現地の台湾人にとっては、エキゾチックなツアー。日本のごちそうも食べれて、音楽や映画、活動写真も珍しい。…結構、いいですね!

2017年に復活したとのことですが、今でも夜市並み、期間限定で稀少度が増して、台湾人の日本好みが進みそうなイベントになっているのではないでしょうか。

台湾と現代においてどう融合しているのか、文化的に興味はありますが、今日はここまで。

ところで、先ほど、納涼大会発起人として出てきた人名ですが。

松本亀太郎、とは。偉い人なんですけどね。ビジュアルはこんな感じで、

平たくいうと、アモイで貿易の仕事をしていて、日清戦争後、台湾で軍政財務の仕事をしながら、温泉旅館を開いた人です。

北投納涼列車の始祖
Top Promoter of the Hokuto Nõryo Train Tour

Matsumoto Kametaro, born in 1864, was a businessman who operated in the Xiamen area. After the First Sino-Japanese War, he took a public service post in Taipei as the tax section chief. In 1896, Matsumoto and Hirata Gengo began opening hot spring hotels in Hokuto (now Beitou), and laid the foundations for Taiwan’s hot spring culture. Since then, Beitou gradually developed into an important leisure and tourist destination in the suburbs of Taipei city.

To coincide with the commencement of the Tansui railway | line in 1901, Matsumoto Kametaro founded the Hokuto Club and organized a variety of activities at the venue to highlight the Noryo tourist train, paving the way for future Noryõ festivals in Taiwan.

1864 年生まれの松本亀太郎は、早くから福建アモイ一帯で貿易を行っていた。日清戦争後、台北軍政庁財務課長を務める傍ら、 1896 年には平田源吾と前後して北投に温泉旅館を開いた。こうして台湾の温泉文化がここに始まった。その後、北投は台北近郊における最も重要な観光地となっていった。

1901年、淡水線の開通に合わせ、松本亀太郎は『北投倶楽部』創設するとともに、総督府鉄道部が走らせた「納涼列車」に合わせ納涼大会の会場となった北投会場での様々な催しを企画し、その後、台湾で行われた納涼会の形の基礎を築いた。

引用:夏の夜の物語:北投納涼文化特別展「北投納涼列車教父」解説

ちなみに、北投温泉で旅館を初めて開いた日本人2人のもう1人の有名人は、今も史跡が残る、最初の温泉旅館「天狗庵」を開いた平田源吾です。

この記載からわかることは、納涼列車、国鉄ですね。北投温泉から台湾各地に納涼会の文化は広がっていったとは…、正直、かなり一大事です。

台湾人の老若男女も、納涼祭に楽しい思い出がいっぱいでニコニコされていたのかも!

いや、大正時代の納涼大会は台湾ではいつまで流行っていたのかが重要かも?など、妄想は膨らみます。

旅行に行くとわかるのですが、台湾も原住民が住むような、未開のエリアから、台北、台南、台中の都会までいろいろなエリアがあり、温泉も予想以上に湧いているようです。(もちろん日本もですね。)

ただ、日本のように泉質や衛生環境に基準を設けて管理したりしていないのが、日本人の温泉マニアには手を出しにくい条件になっていると思います…。

北投温泉も中心地を離れると、山があり、自然に恵まれていて、本当の台北の都会とは違い、他の台湾の温泉地もどうなっているのか気になるものの、温泉医学として、泉質が優れているのかどうかは謎のママです。

青湯と同じ泉質の温泉地を知ることができたものの、研究内容は知ることができず、温泉医学の各国の分断を感じるという…。

この場合、他の台湾の温泉地は僻地にあるというのは、言い訳ですかね。
日本の温泉地もとんでもない僻地にありますから。むしろ、重要なことは言語の壁が厚そう。

反対に、日本語を話してくれる人たちがいらっしゃるかもですね、さらに言うと、もしかしたら、反日感情を持っているかもしれません。

ひとまず、今回で北投温泉博物館の情報すべてを公開すると分量が多すぎるので、常設展については、次回にご説明致します。

これからも、温泉療法医としての目線で様々な温泉関連情報をご紹介していきたいと思いますので、また、お立ち寄りください。

本日はご訪問・ご拝読頂き、誠にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。

広告

Leave a Reply

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください