「をんせん」から「温泉(おんせん)」へ
目次
「温泉」は江戸後期には広く日本人の日常語となっていたようです。
特に、ひねりもせずに、事実を述べただけの当ブログのタイトル、
「温泉療法医♨医学博士の温泉ブログ」のドメインに使用しています。
えっと。特にアルファベット表記に合わせてカッコいい英語ではありません…。
シンプルに、
https://onsendr.com です。
温泉療養医も含めて、温泉研究者の中で有名な松田忠徳先生の「江戸の温泉学」によると、いくつかの時代の主な辞書を参考に、幕末から明治には、「温泉」と「おんせん」の区別はなくなり、「温泉(おんせん)」が日常語化していたと考えられると結論付けています。
それ以前は、「温泉」の同義語として「出湯(いでゆ)」も使われていたようです。
幕末の和英辞書、ヘボンの『和英語林集成』
「O’N-SEN ヲンセン、温泉、n. A hotspring Syn. IDE-YU」
この辞書には温泉についてこのように記されているようです。
この辞書に収録されている語彙は、ヘボン式ローマ字で有名なアメリカ人医師ジェームス・カーティス・ヘボンが日本での言語生活の中で採集したものであることを考えると、「温泉」が江戸後期には広く日本人の日常語となっていたことがわかります。
「温泉」=「由(ゆ)」と呼んでいた時代がある?
その通り、Yes. です。
現代の日本語において、「由」という文字は、理由、由来、自由など、多義がありますが、この場合、中国語の音を利用した訓読み表現として単に「ゆ」という音を表すために使われていたようです。
奈良時代の『古事記』『万葉集』『風土記』などには、「温泉」は漢文記述の中にのみ見られ、万葉仮名の表記にはなかったようです。漢文記述は当時の中国語音で発音していたと考えられ、その訳としての「訓」から、日本語として「由(ゆ)」が日常的に用いられていました。
その後も、平安・鎌倉と中世の文学作品ではやはり、すべて仮名の「ゆ」あるいは「湯」で表現されていて、国語学の研究によると、日本人が「をんせん」という言葉を日常的に使うようになったのは、16世紀頃のようです。
江戸・明治の外国人医師をイメージさせる名称を
初めのご挨拶で、温泉療法医の高齢化と失われた温泉について少し触れました。
日本の温泉療法医は蘭方医、江戸の鎖国時代、長崎のシーボルトから、東大医学部でも教鞭をとっていた明治時代に草津を愛したベルツに至るまで、外国人医師によって広められようとしましたが、結局、我が国の閉鎖性と無知によって温泉科学に裏打ちされた「温泉医学」が根付くチャンスは失われました。
令和元年初日、ブログ始めます。
https://onsendr.com/2019/05/01/reiwa-1st/
そのことを残念に感じ、当ブログを公開するにあたり、インターネット検索で簡単に必要な情報を手に入れられる今の時代に、私の知っていることを少しでもご興味を持っていただける形で効率よく公開し、お役に立てればという思いで、……
多少、恥を忍び(笑)、誰にでもわかる自身のアカウント・ドメイン名は令和の化石らしく、江戸末期・明治の外国人医師をイメージさせるようなものを作りました。
ブログの最初にある画像は、1870年代はじめ日本の明治政府に招かれ、医学教育に貢献した内科のエルヴィン・フォン・ベルツとユリウス・スクリバの胸像です。
というわけで、堂々と名乗るのは多少勇気がいりますが…。
温泉ドクター、温泉療法医♨医学博士の温泉ブログ、これからもよろしくお願い致します。
以上、今回は当ブログのコンセプトとOnsen Dr.(温泉ドクター)の名称由来についてご説明致しました。
これからも、温泉療法医としての目線で、健康づくりに役立つ様々な温泉医学情報をご紹介していきたいと思います。
セルフメディケーションの時代、ぜひ、日常にお役立ていただけましたら幸いです。
本日はご訪問・ご拝読頂き、誠にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。
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